2019/2/11号 産経デジタル iRONNA掲載記事アーカイヴ(写真は筆者、静止画に『動(命)』を吹き込む「ナッちゃん」)
明代の中国に書かれた伝奇小説「水滸伝」に、魔王が封印された祠(ほこら)が登場する。
周囲を赤い土塀で囲み、軒先には金文字で「伏魔之殿」と書かれた看板が掲げられてあった。正面の扉には護符が何枚も張られ、銅で固めた錠前が付いており、中の社殿には3メートル四方の巨大な一枚岩が鎮座し、その下は底なしの深い穴になっていたという。
唐の昔、道士、洞玄国師がこの穴に魔王を封じ込め、そこに建立したのが「伏魔殿」だった、という有名な逸話である。
魔王が封印された場所ということから、伏魔殿は「悪魔がひそむ殿堂」の意、転じて「陰謀・悪事などが絶えず企まれている所」などとされ、過去には田中真紀子元外務大臣や石原慎太郎元東京都知事がこの言葉を引いて、政治発言したことでも知られる。昨今では、PTAを「伏魔殿」になぞらえて報道するメディアもある。
ちなみに水滸伝は、都から来た官僚がこの祠を強引にこじ開け、魔王が世に解き放たれるシーンから始まる。後に悪徳官吏の打倒を目指し、梁山泊に集った108人の豪傑もここから生まれたが、現代社会では世に害をなす魔王は、むしろ「世に放つべき」モノとして、その悪事を世に広く知らしめる動きが盛んだ。
セクハラや性暴力を告発する「#MeToo運動」が欧米で席巻したのは、その象徴とも言えるだろう。
政治的なイメージにとられる日本のMeTooやハラスメント
日本では今ひとつ盛り上がりに欠ける#MeToo運動だが、かくいう筆者も過日、「NHKおじゃる丸降板騒動」で、#MeTooに絡めた問題として記事に取り上げられたことがある。とはいえ、欧米と比べ、日本では弱い立場の女性に対するハラスメントの温度差の違いをまざまざと痛感することが多い。
筆者の仕事は、アニメーションなどのキャラクターに声を当てたり、ナレーションを吹き込んだりする、いわゆる「声優」という職業である。自分で言うのもなんだが、筆者が声優として全盛だったのは二十歳前後の頃であり、この話は今から20年も昔の話だが、実は声優業界でも会社の飲み会や慰安旅行のようなものがあり、番組スタッフや共演者などと飲み会や旅行に行くことがしばしばあった。
信じてもらえないかも知れないが、筆者はどちらかと言えば口下手で人付き合いは苦手な方である。それなのに役者や音楽をやっており、何を血迷ったかテレビの司会やバラエティー番組のレギュラーまで担当した経歴を持つ。読者の皆様にはちょっと理解できないかもしれないが、本当は人前に出るのは苦手で、番組出演はいつも「度胸試し」のような感覚だった。
酒を飲まない、つき合い悪い、お酌係でもない。
さて、今から20年前の当時、どの現場でも筆者がほぼ最年少だった。にもかかわらず、急にスタッフとの慰安旅行に誘われても、「どうすりゃいいの?」という感じだったが、それでも周りの雰囲気というか、見えない重圧をひしひしと感じて、せめて「お世話になっている方々への感謝の気持ちから、顔だけでも出さなければ」と何度か顔を出したことがある。
筆者にとってはアルコールもタバコもまるで無縁であり、お酒の割り方も、お酌や気の利いた話をしたりするのもとにかく苦手だった。TVドラマの一シーンのように自然にお酌して回り、場を盛り上げている人を羨ましいと思ったものである。
周囲の唆しに耐えつつ頑張る自分
そんな宴席に何度か呼ばれた折、あるベテランの男性声優に呼び止められた。「なんで○○(某人気女性声優)に仕事がくるのか教えてやろうか?」「役者は河原乞食の世界なんだよ」。今なら確実に#MeTooで拡散しているであろう、こんな話を唐突に聞かされたのである。
しかも、当時の所属事務所元社長のX氏からは「自分で営業しないと…」と言われ、同じ事務所にいた女性声優からも「がんばって演じてるだけじゃダメなのよ!」などと謎の囁きもあった。声優や俳優の世界こそ実力勝負だ、と信じて足を踏み入れた筆者にとって、深い悩みの種になったのは言うまでもない。
とはいえ、付き合い下手ではあっても、当時はそれなりにまだ仕事のオファーがあった。仕事の多忙さも相まって、宴席に参加することも少なくなったある日、アニメ監督のA氏率いるスタッフとの慰安旅行に誘われた。
その日は夕方まで仕事が入っていたが、終わるとすぐに当時のマネジャーB氏の車で宿泊先に向かった。その車中のことである。B氏から「ところで、水着持ってきた?」と尋ねられた。そう言えば、事務連絡のミーティングの時に「露天風呂で水着がどうの」というような話があったのを思い出した。
慰安旅行という名でまんまと騙され、行った先が混浴温泉。
「あれってジョークじゃなかったの?」と嫌な予感が脳裏よぎったが、「なんで水着がないとダメなんですか?」と真正面から問いただすと、「もちろん、なくても入れるだろうけど…。
いつもお世話になってるんだから、ちょっとくらいサービスするもんでしょ? Aさんにはお世話になってるんだし、少しくらい一緒に入ってよ!」と一瞬殺気だった感じでB氏から威圧的に言われた。
「いやいや、たとえお世話になっていると言っても、なぜ一緒に露天風呂に入らなければならないのか。2時間ドラマじゃあるまいし、あり得ないでしょう」。あまりに唐突な話に、「これはB氏の悪い冗談だ」と自分に言い聞かせながら、そのときはぼんやりと車窓を眺めた。
どれくらい車に揺られただろうか。詳細は憶えていないが、ようやく旅館に到着し、最初に目に飛び込んだのが「混浴露天風呂」の看板だった。嫌な予感は現実となり、「騙された?」という思いが脳裏をかすめつつ、今さら帰ると言えるはずもなく、そそくさとツインルームに案内された。
部屋には先に到着していた女性声優が一人で待っており、なぜだか少しほっとした。どうやら、先行グループは既に温泉に向かったらしく、彼女は筆者の到着を待つように言われていたらしい。そして、彼女に案内されるまま一緒に浴場へと向かった。
静まりかえった温泉、奥の方では賑やかな声・・・
女湯に入ると、「あれ? 誰もいない」。内風呂は静まり返り、水の流れる音がする。暗がりの奥の混浴露天風呂の方からは、聞き覚えのある男女の談笑する声が聞こえてきた。
「私、水着持ってきてないので…」。彼女にそう打ち明けると、「そうなんですか」と素っ気ない返事。そして彼女は無言のまま、ススーッと女湯の奥へ吸い込まれるかのように進み、露天風呂へ消えて行った。
「本気? 本当にみんな混浴してんの?」。筆者は一人、罪悪感に近い気持ちを抱えたまま内風呂に浸かり、突如襲ってきた悪寒に耐えながら適当に体が温まったところで部屋に戻った。
「なんで露天風呂来なかったの?」。お風呂の後に始まった宴会の席でスタッフにこう聞かれた。「水着持ってなかったので」と言うと「水着なんかなくていいよー。わはははは」。その傍らでマネジャーのB氏が、引きつり笑いでお酌をして回っていたのを今でも忘れない。
「業界のお作法」を学ぶために連れて行かれる恒例の宴らしい
後に別のスタッフから聞いた話だが、このアニメ監督A氏率いる慰安旅行はたびたび開催されているらしく、当時の営業熱心なマネジャーB氏が「業界のお作法を学ぶために連れて行った」らしい。宴の後、「小西なんか呼ぶんじゃなかった」とB氏が必死に頭を下げている姿が目に浮ぶようである。
こうして当時を振り返ると、筆者が場違いなところに出向き、その場を盛り下げてしまったことは心から反省したい。ただ、当然ながら、その後一切、こうした宴会や慰安旅行に呼ばれなくなったのは言うまでもない。
「温泉」「風呂」「混浴」と言えばNHK?
さて、「温泉」「風呂」「混浴」というワードがいくつも登場したが、そういえば昨年、過去の国会答弁で籾井勝人・元NHK会長の後ろから文書を差し出す、通称「二人羽織」で一躍有名になったNHK佐賀放送局長が女風呂に乱入した、というニュースが報じられた。
筆者が先に述べた経験は、男が乱入するという破廉恥な事件ではなかったものの、混浴露天風呂が売りの温泉宿にわざわざセッティングし、集団心理や下請け的立場の弱みに乗じて半ば強制的に混浴させられそうになった、というものである。
監督を含む製作現場と筆者のような役者との間には直接的な雇用関係はないものの、慰安旅行はそれに近似した関係にある人たちが集まる場であり、仮に「参加は自由だ」「混浴は強制ではない」と主催者側が主張しても、これを拒否すれば「仕事がなくなる」「嫌われる」などと何らかの不利益な扱いを受けるのではないか、という不安にかられる人もいる。いや、むしろ精神的に追い詰められ、拒絶することさえままならないというケースの方が多いかもしれない。
不利益はダメ、いやなら当然『NO』と言おう!
こと、声優という仕事は「自らの声が商品」であるため、実力(演技力)以外の「プッシュして貰うためのアピール」が必要だと考える人が多い。もちろん、どの業界であっても、自己アピールは局面に応じて求められる能力ではあるが、声優業界のこうした節度を超えた、あるいは本来の趣旨や目的を逸脱したハラスメント行為が横行する背景には、声優のフリーランス的な仕事の請け負い方とも密接に関係する。
ただ事務所に所属しても、黙って仕事が回ってくるわけではないからだ。そのため、「混浴を拒否する」ことはもちろん、混浴というセッティング自体のハラスメントに対しても、「ノー」と言いづらいのである。
それにしても昨今の声優業界は、表現力や感受性を培うことを没却し、本来の職務である実力(演技力)部分の努力を軽んじる役者が増えた気がしてならない。もっと言えば、声優たちによるアピール一辺倒の傾向は、もはや度を超えた品格のないものとなり、まるで異国のアングラ産業かと見紛うような世界である。
その原因の一つには、子供の娯楽だったはずのアニメや漫画が、いつしか「大人をターゲット」にしたサブカルチャーとして発達し、声優が今で言う「ネットアイドル的な人気」を得るようになり、声優専門誌のグラビアや音楽CDの発売、アニメやゲームのイベントパフォーマンスなど、「役者志望」というよりもアイドルを目指して志願する人が増えたからであろう。
そして、このアニメ産業の変遷に乗じて、声優のプロダクションや養成所、専門学校などが乱立し、大人をターゲットにしたアニメ・声優産業は一大サブカルチャービジネスとして成功した。しかしながら、その成功の礎には最初に述べた「大きな伏魔殿」が隠されているのである。
ビジネスの裏に隠れた伏魔殿
かつて筆者が知人の妻から個人的に相談を受けた一つのケースだが、業界人である彼女の夫は、ある人気女性声優と不倫関係にあった。ところが、この声優から「そんなの(不倫であろうと裏接待)はこの業界では常識ですよ」と直接言われたことがあったという。
彼女はその後、夫が他にも複数の女性声優と不倫関係にあったことを突き止め、過去にドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていたことなどと合わせ、裁判を経て離婚した。彼女は今、成長期の子供たちを連れ、たった一人で育児と仕事に追われている。
暴力もみ消し。声優は「分相応の扱いだ」と語る声優事務所。
再び筆者の話に戻るが、少し声優と事務所の立場について触れてみたい。あるゲーム音声の仕事の顔合わせで、当時の事務所マネジャーC氏と駅で待ち合わせをした時のことである。当時は携帯電話を持っている人はまだ珍しく、筆者はポケットベルで事務所デスクを通じて連絡を取り合っていた。
ところが、待ち合わせ時間になってもC氏は現れず、公衆電話から事務所に電話をしたところ、「改札口じゃなくて、階段を上がった外の出口で待っているはずです」とスタッフに言われ、慌てて階段を駆け上がった。
地上に出ると、C氏から「遅せえよ!」と叱責され、「改札口で待ってたんですけど…」という筆者の言い分にはまったく耳を貸さず、後輩の女性声優たちがいる面前で持っていた携帯電話でいきなり頭を殴られたのである。
翌日、当時の事務所社長X氏にこの事実を告げ、公衆の面前で殴打された行為の釈明をC氏に求めた。ところが、C氏は「分相応の扱いってのがあるだろう」と開き直り、X社長も「これから行くところがあるから」と我関せずとばかりに逃げ出す始末。結局、最後までこの件はうやむやにされ、筆者はその後事務所を退所した。
C氏が述べた「分相応」という言葉こそ、声優がまさしく「河原乞食」の扱いであることを示唆するに等しい。役者が「河原乞食」と呼ばれる所以には、前述のように努力もなしに「目的のためなら手段は選ばない」「1円でもいいから仕事が欲しい」「有名になりたい」という、物乞いのような発想の太鼓持ちが巣食っているからに他ならない。
しかも、それにつけ込んだ「伏魔殿」に棲む御上とは「良きに計らってくれる者に褒美を取らす」と言わんばかりの関係にある。
他にも暴露したい話は山ほどあるが、これはまた次回、どこかで執筆させていただける機会に取っておくとして、これが声優に対する現実の評価であり、事務所はもとより製作会社やテレビ局、代理店、レコード会社などとの関係も同様である。
「分相応の扱い」。これは声優業界だけの話ではないかもしれないが、少なくとも筆者の経験に基づけば、エンタメ業界の中でもかなり閉鎖的な方だと思う。
不公正な取引をやめて、健全な社会をつくろう。わたしの言い分(MeToo諫言)
ハリウッドから音楽シーンへと波及し、様々な方面から「#MeToo」を付した告発がなされているが、これらは芸能界のハラスメントに限られたものではなく、あらゆる人間関係において生じる「不利益な取り扱いをなくそう」「不公正な取引をやめて、健全な社会を作ろう」という趣旨で広まった運動であると理解している。
むろん、告発する際には、人権侵害の恐れがあり、それこそ細心の配慮が必要だが、長きに渡る悪しき慣習を正し、社会を変えていこうする#MeTooの波を止めて欲しくない。
「いつ、どこでこんな体験をした」だけでもいい、それをみんなで共有することで「あなたにとっての魔王」、つまり伏魔殿を吹っ飛ばすことだってできるかもしれない。
さて、次に世に放たれる大魔王は誰か。(*第2話もお楽しみに)
●未成年の頃、深夜テレビ出演させられた番組の話(労働基準法)いつか記事に書きましょう!!
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